研修山行「富士山御中道と大沢崩れ源頭部見学」実施報告
科学委員会 松本敏夫
日本山岳会・科学委員会の令和6年度研修山行「富士山御中道と大沢崩れ源頭部見学」は、国土交通省 中部地方整備局 富士砂防事務所の全面的なご支援ご協力の下、古道調査(富士山御中道の一部)を担当するマウンテンカルチャークラブ(MCC)と共に、令和6年9月25日(水)に実施されました。参加者は、本村(L)、伊藤、稲垣、町澤、福岡、下田、松本(敏)(7名)、MCCから松本(博)、堀地、川口、土橋(4名)、また、奥庭駐車場で合流した富士砂防事務所の光永所長、石川、加藤、土屋各氏に全コース同行して頂きました。
行程はJR大月駅(8:30)、貸切りマイクロバスで富士スバルライン奥庭駐車場に集合(9:35~10:08)、ヘリポート(10:27~10:29)、滑沢(11:27)、仏石流し(11:49)、一番沢(12:07)、前沢(12:32)、大沢休泊所(お助け小屋)(12:52)着。モノレールで大沢崩れ源頭部の砂防工事現場に降り、砂防事務所から工事概要、工法の説明(12:54~15:15)、御中道入口に戻る(17:12)、奥庭駐車場で解散(17:25~17:35)、大月駅(18:40)。
富士山御中道は山岳信仰の一つの修行形態で、山頂への登拝や山頂での「お鉢廻り」とは別に、標高2,300m~2,800m付近の富士山中腹を一周する熟達した富士講行者の修行の道です。御中道の中でも大沢崩れを通過する区間は最も危険なルートとして知られ、現在は大沢崩れを含む一部が通行止めになっています。今回の研修山行は、富士砂防事務所の協力を得て、普段は通行止めとなっている大沢崩れ砂防工事のための作業道(一部は富士山御中道)を経由して、大沢崩れ源頭部の地形・地質及び砂防工事等を見学することが目的です。
奥庭駐車場は奥庭自然公園(注1)の入口で、トイレや歩道が整備され、公園内には天狗岩や火口列等があります。奥庭で砂防事務所から資料「令和6年度事業概要」及び「富士山源頭部対策について」の提供、並びに安全対策のヘルメットを貸与頂いた。カギの掛かったクサリを開錠して看板「工事車両出入口、関係車両以外立入禁止」の横からカラマツ林の車道を進み、前方が開けると砂防工事の機材(コンクリートブロック等)が保管されたヘリポートにつきます。砂防事務所から大沢崩れ源頭部で砂防工事に使用する資材等の詳細な説明がありました。
車道を登ると右側に大沢崩れに向う登山道(御中道と砂防工事用の作業道)入口があり、カラマツ、コメツガ、シャクナゲ、ダケカンバなどに覆われているが良く整備された幅1m弱の山道(御中道)に変わります。上り下りの少ない鬱蒼とした樹林に覆われた歩きやすい道が続き、小さな沢を越えると荒涼とした幅の広い「滑沢」にでます。溶岩層がスコリアで覆われたザラザラとしたトラバース道の中ほどから、毛無山や田貫湖、本栖湖の展望が開けます。砂防事務所から地質や景色などの説明がありました。次は「仏石流し」と呼ばれる沢で溶岩の上に丸太で足場を造られていました。ここを越えると左に分岐する「お中道」の標識がありますが、作業道は直進でトラロープに茶色の注意板「ここは工事用の仮設道路です。危険なので立ち入らないで下さい。国土交通省・富士砂防事務所」が吊り下げられています。作業道はこの先で3本の丸太で頑丈に組まれた道が設置(工事期間だけの仮設と推測)されています。6月上旬の下見時に「お中道」の標識に従って左折(標高が少し高くなる)して進んだところ、途中、道が崖崩れのため消失し、通行不可のため戻りました。
次が「一番沢」で、丸太で土留めされ梯子が架けられています。「二番沢」は手すりの付いた丸太の橋を渡ります。最後に「前沢」を越えると大沢休泊所(お助け小屋)の前に出ます。休泊所の右側に石碑(幸田文の「崩れ」)(注2)があり、その奥に三柱神社、富士講の石碑群(注3)があります。現在は扁額が紛失していますが、かつては「富士三柱大神」が掲げられ、祭神として木花咲耶姫命または浅間大神が祀られていたものと推測されます。
大沢崩れ源頭部の工事現場には、参加者を2班に分けて工事用のモノレールに分乗して下ります。モノレールの降り口は手すりの付いた階段があり、横に説明板「御中道(おちゅうどう)と大沢崩れ」(注4)が設置されています。砂防事務所からモノレール乗車時注意の説明を受け、頭から転げ落ちるのではないかと思われるほど急な降りを工事現場までゆっくりと下ります。事前に科学委員会から砂防事務所に提出した質問事項に対する回答を含め、大沢の地形や地質(硬い溶岩層と柔らかいスコリア層の互層状況)や砂防工事の詳細な説明(床固工、斜面対策工、溪床対策工)を受けました。途中、トリカブトやフジアザミの大きな花を見かけました。工事現場の対岸に、何段にも繋げられた長い梯子が架けられていますが、非常時の避難コースとのことです。幅の狭い急峻な砂防工事の谷筋は、土砂の滑落によるスラッシュ雪崩の恐怖が実感できます。
帰路は大沢休泊所までモノレールで登り、全員一緒に往路を奥庭駐車場に向けて戻りました。暗くなる寸前ではありましたが、奥庭駐車場で砂防事務所から参加頂いた多くの皆様に見送って頂きました。砂防事務所の協力がなければ経験できなかった作業道(一部は御中道)の通過や大沢崩れ源頭部にける砂防工事現場の見学など、貴重な経験が得られた研修山行でした。御多忙中にもかかわらず、ご支援ご協力頂いた富士砂防事務所の皆様に深く感謝する次第です。
参考資料
注1)奥庭自然公園には遊歩道や火口列があり、富士山を背景に赤い鳥居の奥に天狗岩が祀られていて傍らの説明板には「天狗岩の由来:この奥庭を土地の人々は天狗の庭といい、昔富士山に住む天狗様が、日夜この庭で遊んであり、この天狗岩は天狗様が山頂より小脇にかかえ持ち下ってここに据え、天へ昇る時又天から降る時の台石としたので、天狗様の霊魂がこもっていると伝えられ、里人は山内に入ると必ずこの天狗岩を拝み道の守護、猛獣、怪奇の無難を願っている。この天狗岩を信仰すると男女の仲が開け夫婦は円満になると里人は伝えている。奥庭自然公園」と富士山の天狗信仰の一端が記されています。
注2)石碑「左手坂を下ると『大沢崩れ』 目の底にはもっと強く残っている大沢谷の姿がある。谷とはなんだろう、とそればかり思う。両側から窪められたところ、刳れたところ、はざま、物の落込むところ、そして何よりも、岩石を運ぶ道筋だ、と思った。 幸田 文『崩れ』より」の記載があります。
注3)石碑「明治九年八月二日」及び石碑「中道登山 五十度記念 埼玉縣北足立郡大門村 扶桑教(?) 大正七年八月」、富士講信者の記念碑と思われます。文字が不鮮明ですが一部がかろうじて判読できます。
注4)「御中道(おちゅうどう)と大沢崩れ」の説明板には「『お中道』とは、富士山中腹の標高2,300m-2,800mを通って一周する約25kmの小径です。富士講の信者が巡拝し、富士山に3回以上登頂経験のある者にのみ許された最上級の修練の道だと伝えられています。いつ頃つくられたか明らかではありませんが、19世紀初めに「中道廻りの行者、一年に百人は下らず」(隔掻録)とあります。御中道の中でも大沢の越場は最大の難所とされ、当初は標高2,800m付近の「一ノ越」を渡っていました。大沢崩れの崩壊が拡大して明治初期には「二ノ越」に変更され、その後も崩壊は進み、昭和初期には「三ノ越」が設けられました。昭和52年に転落事故が発生し閉鎖になり、現在に至っています。昭和51年5月、作家幸田文は偶然見た安倍川源流の大谷崩れで偉大な自然の営力に深い感慨を覚え、全国の大崩壊地を巡りました。同年7月、幸田文は富士山の大沢崩れを訪れ、随筆「崩れ」を執筆しました。」
「ここは、自然公園の特別保護区で、植物の採取は禁止されています。ゴミ等は持ち帰るようにしてください。また、大沢崩れ周辺は崩壊が著しく、御中道の渡しは通行不可能です。春先や初冬は雪崩れが発生しますので、行動には十分注意してください。下流(右側)は建設省が調査工事を実施しています。工事関係者以外は入らない様にお願いします。 建設省富士砂防工事事務所」と記載されています。
大沢崩れ源頭部 砂防工事現場にて(砂防事務所の皆様と)