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公益社団法人日本山岳会

「グレート・ヒマラヤ・トラバース7th」踏査だより

2020年から始まった120周年記念事業のGHT(グレートヒマラヤトラバース)の山旅も、いよいよパキスタンでの最終ステージを迎えます。
ネパール5回、インド1回、そして今回のパキスタンで、合計7回の踏査で温故知新の山旅GHTは完結を迎えます。
パキスタンへは、6/16羽田発組、関空発組ともバンコク経由でイスラマバードに入ります。
GHT7thのメンバーは過去最多の12名、A隊6名、B隊4名、C隊2名の編成です。
3隊ともバルトロ氷河、K2BC、ガッシャーブルムBCまでの行動は一緒ですが、その後A隊はゴンドコロ峠越え、BC隊はスカルドまで戻り、B隊は帰国へ。C隊はスパンテークを目指します。
計画の詳細は日本山岳会HPから創立120周年記念事業⇒グレートヒマラヤトラバースに掲載しておりますのでご覧くださいませ。
今回、GHT第2回~6回までの留守事務局を務め、現地からの情報を中継し伝えてきた松田も参加し現地からの直接発信をする予定です。
しかしながら、バルトロ氷河では通信状況が悪くなかなかタイムリーに情報発信をすることは難しいようですが、トライ&エラーで鋭意努力したいと思います。
最終ステージのGHT7thに引き続きのご支援をよろしくお願いいたします(松田)。

グレー・ト・ヒマラヤ・トラバース計画書はこちら

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衛星通信[Garmin inReach]

中谷 Explore_Small

重廣 Explore_Small

★★「メッセージ送信」は緊急用なので絶対に送信しないでください★★


【7月17日〜25日】

B隊がk2BC、ガッシャーブルムBC訪問を終えて、スカルドゥからイスラマバード帰着。
それにあわせて、6月27日からイスラマバードのShifa Hospitalに入院していた松田隊員と17日夜、ホテルで久しぶりに再会を果たしました。
松田隊員は19日と21日の朝病院で治療を受け、21日夜半のタイ航空でB隊隊員とともに出国。22日夕方、成田国際空港、関西国際空港にそれぞれ無事到着しました。
松田隊員については PJ事務局で手配済みの、東京慈恵医科大学附則病院に入院しました。
A隊及びC隊については、それぞれ後半の行動をほぼ予定通り継続中です。
重廣は、23日イスラマバードからスカルドゥに戻った後、24日車でフンザに移動しました。
25日現在、アリアバードのホテルに投宿して、A隊を迎える準備をおこなうと共に、C隊の登山状況を見守っております。
なお、A隊の行動状況はGPS MAP 66iの軌跡とガイドとの繋がり難い電話で、C隊についてはGarmin inReachのメッセンジャーで情報のやり取りをしています。
25日15時現在、A隊はヒスパー峠を越えてカニバサのキャンプサイトに到着、C隊については午後からBCを出発してC1に向かっていましたが、たった今到着しました。
以上、簡単ではありますがご報告します。
(重廣記)

【7月16日】

GHT

[6月23日]本隊に1週間遅れてイスラマバード入り
[6月24日]イスラマバード
[6月25日]氷河イスラマバード〜スカルドゥ
[6月26日]スカルドゥ
[6月27日]スカルドゥ
[6月28日]スカルドゥからアスコーレを経てジョラのアーミーキャンプまで車で移動。
[6月29日]ジョラ〜モンジン
[6月30日]モンジン〜パイユ
[7月1日]パイユ〜リリゴキャンプ リリゴキャンプ対岸から馬の使用に切り替える。
[7月2日]リリゴキャンプ〜ウルドカス
[7月3日]ウルドカス〜ゴレII 夕方、1985年に初登攀したマッシャーブルム北西壁が赤く燃えた。
[7月4日]ゴレII〜コンコルディア 1977年、2004年(イタリア隊のK2初登頂50周年)以来、久しぶりにK2と対面した。
[7月5日]コンコルディア〜K2BC K2BC手前の昨年夏の平出、中島両氏の滞在したキャンプサイトに泊まる。夕方、K2モニメントを訪問。
[7月6日]朝方KBCを訪問、7回目のK2登頂を目指すアンニマシェルパ(2021年冬期初登頂者)と面談(BCには14隊が滞在中という)した後コンコルディアに下り、本隊と合流した。 
7日以降は本隊と同一行動。
(重廣記)

《バルトロ街道〜K2BC〜ガッシャーブルムBCの往復報告》
[6月21日 晴 スカルドゥ〜アスコーレ]7台のジープで断崖絶壁の道を走りアスコーレ に到着。一人20㎏という個人荷物の計量がシビアに行われた。午後はK2ミュージアムを見学しました。
[6月22日 晴後曇 アスコーレ 〜旧ジョラ]GHT完結に向けて標高3000mラインから一歩を踏み出す。気温は35℃まで上がり、暑い中、初日から20㎞の歩きはきつかったです。
[6月23日 晴 旧ジョラ〜モンジン]テントサイトに到着すると砂だらけで、水も濁り飲むのに躊躇しました。
[6月24日 晴 モンジン〜パイユ]ブロードピークがはるかかなたに見えた。パイユ、リリゴピークがよく見え、夕方、K2の肩が見えました。
[6月25日 晴 パイユ・レスト]水が豊富なテントサイトで、皆、洗濯に忙しい。日中、テント内は50℃を超えるので、ダイニングテントに避難するしかありませんでした。
[6月26日 晴 パイユ〜コボルツェ]スタート直後、K2が顔を出した。10時頃には気温が40℃を超え、ハエが纏わりつき鬱陶しい時間でした。
[6月27日 曇 コボルツェ〜ウルドカス]足元に氷が見え、氷河上を歩いているのを実感しました。標高が4000mを超え、暑さの中にも風が吹くと涼しい時間です。
[6月28日 曇後晴 ウルドカス〜ゴレⅡ]「山カフェ」でGHTが紹介された。ガッシャーブルムを正面に昼食を取り、マッシャーブルムを横に見ながら歩きました。
[6月29日 晴 ゴレⅡ〜コンコルディア]朝は寒くて着込むが陽が差すと真夏になり、気温差が激しい。氷河上に錆びたオイル缶が散乱したゴミだらけのアーミーキャンプを過ぎ、展望地コンコルディアに到着。チョゴリザ、スノードーム、ガッシャーブルム、ブロードピークと素晴らしい景色であるが、K2は頭を雲に隠したままでした。
[6月30日 曇夕方霰 コンコルディア〜ブロードピークBC]ゴドウィンオースチン氷河をチェーンアイゼンを装置して登りました。
[7月1日 晴 ブロードピークBC〜K2BC]ブロードピークを登っている人が黒い米粒のように見えた。BC近くのK2メモリアルには、昨年夏に遭難した平出・中島氏、広島三郎氏のモニュメントがあり、全員でご焼香をしました。
[7月2日 曇 K2BC〜コンコルディア]モレーンのアップダウンが激しく、とても歩きにくかったです。
[7月3日 晴 コンコルディア・レスト]雲ひとつなく360度の大展望に感嘆し、写真撮影大会となりました。
[7月4日 晴 コンコルディア〜ジャグリング]今朝、ガッシャーブルムで雪崩がありました。轟音と同時に白煙が上がり凄い迫力でした。ゴンドコロ峠に向かう分岐を過ぎ、怪峰ムスターグタワーを後方に歩きました。
[7月5日 晴 ジャグリング〜ガッシャーブルムBC ガッシャーブルムⅡ周遊]BCは下方に30mほど流れているらしい。午後、橋本会長が登頂されたGⅡ峰を見に5150mまで標高を上げると、秀麗な三角錐の山が現れた。連日の長時間歩行に皆疲れぎみです。
[7月6日 晴 ガッシャーブルムBC〜コンコルディア]10時間かかってコンコルディアに下ると、重廣隊長が出迎えてくれ、ようやく合流できました。
[7月7日 晴 コンコルディア・レスト]K2を背に全員で写真撮影大会。午後、慰霊碑のケルンを組み、線香を上げ合掌しました。
[7月8日 朝雨すぐに晴 コンコルディア〜ゴレⅠ]マッシャーブルムを正面に仰ぐ場所で昼食。1985年の北西璧登頂ルートの説明を重廣隊長から受けました。
[7月9日 曇 ゴレⅠ〜コボルツェ]疲れが溜まってきている身体にはモレーンの登り下りがこたえる。テントサイトは中国人のグループで賑わっていました。
[7月10日 曇 コボルツェ〜パイユ]目の前で落石があり、注意しながらバルトロ氷河舌端を過ぎた。曇だとさほど気温が上がらず歩きやすかったです。
[7月11日 晴 パイユ〜ジョラ]深夜激しい雨でキッチンテントが流されそうになった。20㎞を歩きジョラに到着すると砂嵐でテント内も全て砂だらけになりました。
[7月12日 晴 ジョラ〜アスコーレ]ジープで移動。午後、アスコーレ村長宅を訪問し、移り変わる村の様子の話を聞きました。
[7月13日 晴 アスコーレ〜スカルドゥ]ジープで移動。コンコルディア・モーテル・スカルドゥに到着し、23日ぶりに頭と体を洗いスッキリしました。
(中村記)

[写真]
上:7/1 K2BC手前からのK2(8611m)
下左から:
1. 6/28 GoreⅡのキャンプサイトから夕暮れのマッシャーブルム(7821m)
2. 6/26 パイユを出て、バルトロ氷河の舌端。 
3. 6/28 GoreⅡのキャンプサイトから夕暮れのガッシャーブルムⅣ(7925m)
4. 6/30 コンコルディアからブロードピークBC、K2BCへ向かう。
5. 7/1 K2BC近く、ギルキー記念碑(カラコルム遠征で亡くなった登山家達のメモリアル)。数々の先人と共に、昨年の平出和也さん、中島健郎さんを弔った。
6. 7/5 ガッシャーブルムBCへ向かう途中からのチョゴリザ(7668m)
7. 7/5 ガッシャーブルムBCに向かって、アッパーバルトロ氷河を進む。正面はバルトロ・カンリ(7302m)
8. 7/5 来し方を振り返ると、ムスターグ・タワー(7284m)
9. 7/5 ガッシャーブルムBCの先(5150m付近)から、右/ガッシャーブルムⅠ(8068m)と左端/ガッシャーブルムⅡ(8035m)
10. 7/6 ガッシャーブルムBCからコンコルディアに戻り、重廣隊長と合流。全員で記念撮影。右/ブロードピーク(8051m)、正面奥/K2(8611m)。

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【7月16日】

6月16日の出発時点で重廣のみビザが取得出来なかった(理由不明)ため、空港で吉井さんに隊長代理を指名、隊の分散を避ける為、A隊のゴンドコロ峠越えを中止、B. C隊と共にK2BC〜ガッシャーブルムBC往復のみとしました。
また、予定していたK2BCから西壁側への行程も、サボイヤ氷河の状態が悪く断念しました。
重廣を除くGHT7thの11名は6月21日、スカルドゥからアスコーレに車で移動、22日からバルトロ氷河の踏査を開始しました。
途中、松田隊員が重度の熱中症による体調不良により、25日救助ヘリでパイユからスカルドゥの陸軍病院に搬送されたました。
本隊はその後、26日から踏査を再開し、7月1日K2BCに到着、その後ガッシャーブルムBCを往復して、6日にコンコルディアに戻りました。
重廣は1週間遅れの23日に日本を出発し、25日にスカルドゥに到着した後、スカルドゥ空港近くの陸軍病院で松田隊員の到着を待ちました。
27日まで松田隊員の付き添いと、イスラマバード行きの飛行機便及び付添人の手配と見送りを行ない、28日から先行パーティを追いかけました。
途中から馬を使い日程調整。K2BCを往復した後、6日に先行パーティとコンコルディアで合流しました。
7日、コンコルディアで1日レストした後、8日から下山を開始、13日全員が元気にスカルドゥに戻り、荷物の整理、洗濯に追われています。
今後につきましては、A隊(ビアフォー、ヒスパー氷河横断)、 C隊(スパンティーク登山=16日朝出発)は予定通りの行動を実施。B隊は帰国の途につき、重廣はB隊に同行して17日イスラマバードに下った後、松田隊員の帰国調整を行う予定です。
  
通信状況の悪さから報告が遅れ、皆様に多大なご心配をおかけしました事お許しください。
スカルドゥにて 重廣記


【6月18日】

6/18イスラマバードからスカルドウにフライト。
雲を抜けると、眼下に広がる山、山、山。私の座席からは周囲を圧倒する、どでかい塊のナンガパルバットが見えた。
反対側ではラカポシ、ディランが顔を出したようだ。
今週は天気に恵まれ4便のフライトすべてが運行、先週は天気悪く4便とも欠航とのこと。
約1時間で岩山の隙間に突如として現れるスカルドウ空港に到着した。
イスラマバードより涼しいと思ったが、ホテルに着く頃から、どんどん日差しが強くなり、日陰のありがたさが身に染みた。
6/19午後、リエゾンオフィサーとのブリーフィング実施。
その後は隣のナジールサビル事務所でテントのグランドシート、マットのサイズ合わせをおこなった。
涼しくなる夕方から近くの展望台に出かけ、その後食事へ。
今日はサッカー場で決勝戦が行われており、大勢の人が繰り出していた。路駐バイクの間を縫いながら、ホテルに戻った。
6/20三角テントが目印のK2ミュージアムを訪問。初登頂のイタリアが管理するミュージアムだ。
バルトロ氷河のパノラマ写真と膨大なK2の図書が迎えてくれた。
午後からは、明日からのアスコーレ行きに備えて、スカルドウにデポする荷物の整理をおこなった。
いよいよ、明日はバルトロの入り口となるアスコーレまでジープで移動しテント生活の始まりだ。
アスコーレからは通信ができなくなります。
よって明日からの行動を伝える手段ないため、7/14ころまでは休止となります。
なんとか伝えようと手段を考えていますが、どうも難しいようです。
次回までしばらくお待ちくださいませ。

[写真]
上:17日夜はナジールサビルさん(中央のピンクのシャツ)も一緒に会食をおこなった。
下左から:
1.ナジール事務所でテントチェック
2.三角テントのK2ミュージアム
3.バルトロ氷河のパノラマ
4.大きな雲の右の雲から顔をだすナンガパルバット
5.どでかい塊のナンガパルバット

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【6月17日】

GHT出発

6/16GHTの最終ステージとなるパキスタンに出発しました。
羽田から9名、関空から重廣隊長以下3名が出発のはずでしたが、重廣隊長のビザ発行が間に合わず、関空からは2名の出発となりました。
直後に重廣隊長のビザがおりたものの、1週間遅れで我々を追いかけることになりました。
パキスタンのビザは1ヶ月以上前から申請をしていたのですが、発行が遅く、我々に届いたのも出発4日前で、準備万端なのに本当に行けるのだろうかと不安になっておりましたが、まさか重廣隊長のビザが間に合わないとは…。
バンコクで関空組と合流し、乗り換えの時間がたっぷりありましたので、しばらくは飲めなくなるビールで乾いた喉を潤し、その後イスラマバードへ。
ナジールサビルさんの出迎えを受け、約40分でホテルに到着。
日本からはバンコク経由で約10時間のフライトは疲れました。
18日にはスカルドまでフライト予定です。
GHT出発GHT出発

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