【山名】会津西街道古道調査
【日時】2025年11月29日(土)日帰り 晴れ
【集合】7時 神田駅北口
【行程】
7:00 神田駅を出発した成田車は首都高経由で東北道を順調に北上し、日光宇都宮道路を今市I.C.でおりる。
東武日光線下今市駅近くにある会津西街道の起点、相之道通りを探して9時15分頃記録に収める。
国道121号を北上し、9時58分に一旦下車して 旧五十里村南一里塚に立ち寄り記録する。
さらに121号北上を続けて道沿いにある横川一里塚に10時32分立ち寄り記録後、すぐ先にある横川関所跡にも立ち寄り記録。
10:50 山王峠の調査開始。
10:54 横川駐車場を出て少し戻ると国道の同じ側に登り口があり、10:59 に山道に入るとすぐ、藪を10mほど通過。
その後は右手に川を見ながら広くてゆるやかな道を進む。
11:27 野ばらやちくちくの草に阻まれわかりにくいジグザグ道の登りとなり、その途中で鹿の頭骨を発見。
11:42 峠の地形に出て、右手へ尾根を辿る。
11:56 尾根沿いの小さい頂で記念撮影後、落葉樹の尾根を福島側へ下り始める。
12:07 旧国道に出合い、成田さんは車に戻る。引き続きくるぶしまで落ち葉に埋まりながらなだらかな尾根沿いを下る。
12:25阿賀川源流の山王川が右手に見え、川沿いの平坦な道を歩いて
12:37 国道に出る。成田車に乗り込み、12:50 道の駅たじまでトイレ休憩後、13:30 会津田島駅の駅舎で昼食休憩。
国道121号を湯野上温泉駅北方で左折して国道329号に入り、14:45 大内宿に 立ち寄り記録。
15時15分頃大内宿を出て会津西街道を北へ辿り、国道131号経由で15:37氷玉峠に立ち寄り記録。
そのまま131号を北上して会津盆地に入り、16時25分に鶴ヶ城でUターンして今度は国道121号を南下する。
那須塩原より東北道に入り、佐野でラーメンを食べたのち、順調に首都高を進んで21:15 神田駅で解散。
【参加者】(敬称略)成田・永田・葉上・松本・黒沼・谷島
【感想】
今回の山王峠ルートは、氷玉峠を併せたとしても山岳路としての長さや厳しさ、石造物や文献等の文化的遺産の量がいま一つといった感じです。
また、アクセスのほか地形図に表示がないこと、山道も道標等がなく消失している部分もあることから一般のハイカー向きとは言えないと思います。
簡単にいえば費やす労力とのバランスが少し弱いように思います。
ただ、古道は植林帯ではなく広葉落葉樹林の中を通っており落ち葉で苦労する反面、秋冬は空が大きく広がりとても気持ちの良い山道を歩くことができました。
いずれにしても同乗の皆様、お世話になりありがとうございました。(T.H)
初めて足を踏み入れる地域、江戸から会津までの往復を少しは旅人目線で想像しながら辿れて良かった。
山王峠直下は急斜面で、いくらジグザグの道型でも難儀したのでは?周りの美しい山々は長旅の慰みとなったかしらん?(H.M)
今市では街道の起点、相の道探しから始まり、記録を取ると、雲一つないお天気の中、日光の男体山女峰山太郎山をはっきりと眺めながら大桑を抜けていきました。
谷あいにそそり立つ鬼怒川温泉、川治温泉のひなびた温泉街を過ぎると、121号線は川治湯本からは男鹿川沿いへ進み、地震の影響で水没してしまったという五十里湖下の街へ思いを巡らしていると、”旧五十里村南一里塚”で初めて車を降りました。
道路の東側の森に続く道を登り、しばらく歩くと道祖神を含む石碑が6個、土塁のようなところにありました。
奥には古い街道が続いていたようです。
再び北上すると、横川の関所手前の西側にある”南山通り横川一里塚”には通行人に親しまれたという”よばわり岩(呼子岩)”があり、本当によく反響することをNさんが実証してくれました。
“会津藩横川関所”には小さい神社や地蔵がまとまっていて、街道を挟んだ東側に昔のままと思われる部落もわずかに残っていました。
“山王峠”の入り口は売店もある駐車場の南からでしたが、駐車場の裏からも入ることができるようでした。
薄暗く藪に覆われた峠をイメージしていましたが、入り口のススキと、国道方面に戻っていく北側の急なイバラの道以外は落葉樹に覆われた道を行くフカフカのハイキングコースのようでした。
大きな鹿の頭蓋骨が落ちていました。
登りきったところ、旧国道手前で集合写真を撮り、車に戻るNさんと別れた後は幅の広い楽な下り道でした。阿賀川(?)の水源になっている流れが道のわきにありました。
“道の駅たじま”でキノコをたくさん買いました。
車で”会津田島”へ移動して今日のランチやソースカツ丼で腹ごしらえを済ませ、阿賀川沿いに121号線で北上。
途中”大内宿”に寄り、保存されている藁ぶき屋根の古い町並みの宿場町を見学。
天ぷら饅頭とネギそばはお二人のNさんのアドバイスにより食べるに至りませんでした。
日が傾いてきたので”会津若松”へと車を進め、終点は”鶴ヶ城”。夕日をバックに眺めることができました。
帰りは那須塩原まで下道で戻り、そこから東北道。佐野インターで佐野ラーメンをすすり、ほぼ定刻通りに神田へ戻りました。
山王峠は古道120選からは外れることになりそうとのことですが、ドライブでは、国道沿いの古道だけでなく、一里塚や関所、昔の部落に立ち寄る楽しみがあるのを教えていただいた一日でした。
お城に寄りたかったのとネギそばと天ぷら饅頭とソースカツ丼は課題として残りましたが、そんなことは気にならないくらい、1日会津西街道の旅、深かったです。
長距離の運転も、本当にありがとうございました。(A.Y)
今回、会津西街道・旧山王峠の古道調査という事で付近の調査から始めた。
近くを通る国道121号線は、30年以上にわたり「栃木から福島、会津若松市」に移動する際によく利用する国道であり、道路事情は良く知っていたが街道、古道調査という目線で見た事が無く改めて歴史を振り返るきっかけになりました。
会津西街道は、江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、会津の若松城下から下野の今市に至る街道で、経路は福島県会津若松市から栃木県日光市今市までの全長110キロ超に及び、参勤交代や江戸と会津を結ぶ物流の道として重要な街道であったようです。
山王峠の名は峠の山頂付近に鎮座していた山王権現が由来と伝わり、鎌倉時代には峠を挟んで栃木側と会津側を結ぶ街道であったと記録が残っていました。
山王峠の頂に残る馬頭観音には「弘化元年十一月七日 施主 中三依 大黒屋」と刻まれているようです。
今回の山行は、栃木県日光市の会津西街道起点「相の道」から始まり、高原新田宿近くの一里塚を経由し、最終目的地である南会津地方の旧山王峠を目指すものとなりました。
*高原新田宿近くの高原越えはほぼ廃道状態であるらしい。
行程の大半は車窓からの景色となりましたが、昔の街並みが残る大内宿では、江戸時代の宿場町の雰囲気を味わいました。調査を通じて、歴史的な遺産の保全状況には改善の余地が多いと感じました。
旧山王峠への入り口を示す看板は、文字が消えたり倒れたりしており、非常に分かりにくい状態でした。山頂へ続く道は藪や棘で覆われ、整備が行き届いていないため、一般の歩行者にはお勧めできません。
山頂から自分はメンバーとは別行動をとり旧国道121号線からスタート地点に戻ったが、空き缶やペットボトルのゴミなど人が捨てたものも落ちており少し悲しくなりました。
これらの歴史的価値のある場所をより多くの人に訪れてもらうためには、適切な保全と整備が不可欠だと痛感しました。
一方大内宿を起点とした旧下野街道(古道なのか?)を本格的に調査し、ルートを確立すれば、より長い歴史街道のルートが作成できる可能性も少し感じました。
大内宿からさらに進み、西街道の終点である鶴ヶ城(会津若松市)まで行くことができたのは、限られた時間の中で起点から終点までを辿れた良い山行だったと思う。
南会津の酒蔵巡り: 南会津地方には、「金紋」、「国権」、「男山」といった個性豊かな小さな酒蔵が点在しており、ぜひ訪れたかったのですが、時間がなく立ち寄れなかったのが心残りでした。
さらに、ソースかつ丼や天ぷら饅頭、会津ラーメンなどの名物料理も味わってほしかったです。皆さまご参加有難うございました。(T.N)
【特記事項】日本山岳会創立120周年記念プロジェクトの山岳古道調査120選の欠番を埋める候補となるかどうかの調査をマウンテンカルチャークラブのメンバー(かつプロジェクトチーム本部メンバー)にて行った。
山王峠越えだけでは2時間弱と短く、かつ、現時点では栃木県側の峠近くと入り口付近が藪となっており、120選に入れることは難しい。(この項は、松本記載)
【反省会】
【ヒヤリハット】特になし
【記録】谷島

