メニュー

公益社団法人日本山岳会

自己紹介 土屋 正樹(会員番号:13981)

麗山会の最年少者です。と云っても定年まであと数年の小父さんです。

生まれは、富士山の麓の山梨県富士吉田市。幼い頃から山に囲まれて育ちました。

諸先輩と同じようにここで私の登山歴をお披露目出来ればいいのですが・・。

山に登ったのは、小学校の遠足で天上山(河口湖のロープウェイがある山)と三ツ峠ぐらいです。山にはまったく興味が無かった。富士山は、もっぱら麓から眺めるのみ!

高校時代の3年間は、新聞少年をしていた関係で早朝の美しい富士山を見ることは出来た。でも当時は、富士山がこんなに美しい山だとは思わなかった。

 東京に就職して間もない頃、丹沢(鍋割山)と八ヶ岳(阿弥陀岳、赤岳)に登ったことがある。丹沢には、当会の玉田副代表のお世話になった。あとは、山頂での宴会が楽しかった高尾山のハイキング。これが、私の登山歴かな?

健康に注意するようになったきっかけは、会社の健康診断で総コレステロールや中性脂肪が高いため、強制的に週2回、2ヶ月間のTHP(トータル・ヘルス・プログラム)スクールにて有酸素運動(エアロビ)、筋力トレーニング、ストレッチを遣らされた。2ヶ月間休まず出来たのは、インストラクターの服装によるところが大きかったような気がする。

で、2ヵ月続けられたのでこれで止めてしまうのはもったいないと言われ、以後週2回トレーニングジムへ通うようになった。43才のときである。

同じジムへあとから玉田副代表が通うになった。これが山との運命の出会いになった。

トレーニングの成果を山で試したらどうかと誘われた。とりあえず登山靴とザックを購入し行くことにした。記念すべき第1回登山は、雨の御嶽山であった。45才のときである。その後、仲間と月1回程度、低山登山や夏期休暇を利用して北海道の山々に行くようになった。因みに、富士山に登ったのは、2002年である。 

その2年後、山のトレーニングの一環としてマラソンにも誘われ、大会に出るようになった。今では、玉田副代表より出場回数が多くなった。また、時には、先にゴールすることもある。マラソンは、登山のためのトレーニング。速さよりも完走を目指す。今迄リタイヤしたことはない。

今年初めて冬山を経験した。硫黄岳である。産まれて初めてアイゼンを装着し、いきなりアイスクライミングを体験しました。 

今年も残り僅かになりました。お体に気を付けて新年をお迎え下さい。 

今後とも麗山会の素晴らしい諸先輩方と楽しく登山が出来ればと思います。

宜しく御願致します。

同好会

pagetop