先人の精神を受け継いで、山岳伝統文化を守ろう
山岳祭は、日本の登山活動に貢献した先人を顕彰する行事です。全国の14支部が11人を顕彰しています。その先人の多くが日本山岳会と関わりを持ち、現在も日本山岳会の活動に影響を与えています。登山活動や登山技術に限らず、登山思想や歴史、文化、民俗、伝統、芸術など多岐にわたります。豊富な人材とネットワークの広さには驚かされます。
日本山岳会は2022年、そうした先人の精神と歴史を受け継ぎ、さまざまな山岳伝統文化を守り、絶やさず将来につなげるためプロジェクト「引き継がれる山岳祭」を立ち上げました。「継続」「支援」「広報」「交流」がキーワードでした。2025年には日本山岳会が創立120周年を迎え、改めて先人の人となりや活動、山岳祭の意義と歩みを振り返り、冊子「引き継ごう 山岳祭」に結実させました。
山岳祭は、地方の支部の連帯感と活性化を生み、もはや登山のジャンルをこえて全国の地域おこしともいえるイベントになったことが分かります。山岳祭は今後も世代をこえて引き継ぐべき重要な行事です。日本山岳会にとどまらず、多くの日本人にも知ってほしい無形の遺産です。
山岳祭リーダー 尾野益大
2026年の予定
※以下の写真は過去のものです。
①小島烏水祭 第14回
- 日本山岳会主催(日本山岳会四国支部主管)
- 令和8年4月4日(土) 午後1時から碑前祭と講演、夕食懇親会。翌日は四国の登山を実施
- 香川県高松市 峰山公園
- 日本山岳会四国支部小島烏水祭担当 田所秀紀 ℡090-1009-2705 E-mail: tado-h23@i2.gmobb.jp
小島烏水祭は初代会長の烏水を思い、彼のパイオニア精神と登山の実践と普及、多彩な才能と自然と人間を包み込む世界観を広めるため、四国支部設立2012年(平成24年)と共に始めました。
烏水は横浜で活躍し、富士山や槍ヶ岳登山のイメージがあるが、生まれたのは四国の香川県高松市(2歳頃まで在住)です。
支部設立の年に偶然、紛失していたレリーフが日本山岳会上高地山岳研究所で発見され、烏水祭を開いている高松市峰山公園の記念碑の象徴になりました。
烏水祭は原則として毎年4月の第一土曜日にあり、碑前祭の式典と記念講演会、食事を伴う懇親会をプログラムとしています。
烏水の子孫も会員として毎年参加しています。
②深田祭 第45回
- 韮崎市観光協会・白鳳会主催(日本山岳会山梨支部は実行委員)
- 令和8年4月19日(日) 午後1時30分より
- 山梨県韮崎市穂坂 深田記念公園
- 深田祭実行委員会 0551-22-1991
深田久弥は茅ケ岳登山中に急逝しました。その登山口、深田記念公園の顕彰碑前にて氏の遺徳を偲ぶ式典です。氏の没後10年目の1981年(昭和56年)山梨県、韮崎市、韮崎市観光協会、白鳳会の4者は山梨県韮崎市穂坂に顕彰碑を建立し深田記念公園を造りました。深田祭実行委員会主催で1982 年4月に第1回深田祭を開催し、以後毎年4月第3日曜日に開催します。この顕彰碑には「百の頂に百の喜びあり」と氏の言葉が刻まれています。
氏が倒れた際は山梨支部員が救助搬出に尽くしました。茅ケ岳山頂直前稜線の終焉の地に「深田久弥先生終焉の地」と刻印された慰霊碑があります。この慰霊碑は山梨支部員4名が任意に作成設置したものです。山梨支部では碑前祭に毎年参加献花し、茅ヶ岳記念登山を実施しています。
③久弥祭 第30回
- 久弥祭実行委員会主催(日本山岳会石川支部は実行委員)
- 令和8年4月26日(日) 午前8時より
- 石川県加賀市 富士写ヶ岳麓の九谷ダム広場(加賀市枯渕町)
- 久弥祭実行委員会事務局 深田久弥山の文化館 0761-72-3313
久弥祭は深田久弥を愛する会(現NPO法人深田久弥と山の文化を愛する会)が主宰し主に深田久弥山の文化館での行事として行っていました。
2016年(平成28年)の国民の祝日「山の日」施行を契機に、石川県内の主要山岳関係団体が結集し、富士写ヶ岳山頂に深田久弥のレリーフを刻んだ方位盤を新調しました。
その結集した力で久弥祭を盛り上げ、久弥ファンのみならず、誰でも気軽に参加できる山岳祭としたいと考えています。
式典会場である九谷ダム広場の眼前にある富士写ヶ岳は、深田久弥が生まれて初めて登った山です。式典後は富士写ヶ岳の登山を行います。
④田部祭 第9回
- 山梨市観光協会三富支部主催(日本山岳会山梨支部は後援)
- 令和8年4月29日(水) 昭和の日 時刻未定(2025年は午前8時00分より)
- 山梨県山梨市 西沢渓谷入り口バス停先広場及び西沢渓谷田部重治文学碑前
- 山梨市観光協会 0553-22-1111
西沢渓谷を含む笛吹川源流域を世に広めた登山家、英文学者田部重治の功績を偲ぶ碑前祭(山梨市観光協会主催、後援山梨支部ほか)です。田部重治の著書『日本アルプスと秩父巡礼』が登山大衆化を促したと言われていることから、山梨支部は碑前祭開催を地元行政に働きかけてきました。
第1回田部祭は2018年(平成30年)に田部重治文学碑前で開催し、あわせて田部重治のレリーフを文学碑に埋め込む除幕式を行い氏の玄孫が参加しました。2023年(令和5年)からは西沢渓谷山開きに併せて開催しています。
⑤岡野金次郎碑前祭 第3回
- 日本山岳会神奈川支部主催 後援:平塚市、平塚市教育委員会、平塚市観光協会、神奈川県山岳連盟、神奈川新聞社
- 令和8年5月9日(土) 午後2時30分から
- 神奈川県平塚市湘南平 岡野金次郎顕彰碑前 JR平塚駅北口(3番バス乗り場)から湘南平行きバス
- 日本山岳会神奈川支部 中島良行 090-7739-5634
岡野金次郎は、盟友小島烏水と二人で1902年(明治35年)に槍ヶ岳の登頂に成功し、それは日本人による近代登山の幕開けとなりました。岡野はその後横浜に住むイギリス人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンと出会い、小島との再訪問・交流などを通じて、日本山岳会の設立に際しての影の恩人となりました。晩年を平塚市で過ごし、歿後の1961年に湘南平に平塚市と市民の協力で顕彰碑が建てられました。
岡野金次郎生誕150周年にあたる2024年に第一回の岡野金次郎碑前祭を開催しました。岡野金次郎碑前祭は毎年5月の第二土曜日することとし、今年は第三回目を開催します。
⑥恵那山ウェストン祭 第1回
- 日本山岳会岐阜支部
- 令和8年5月9日(土)~10日(日)
- 岐阜県 萬岳荘・中津川市ウエストン公園・恵那神社
- 東明 裕 ytomei@gmail.com
初日は、ウエストンゆかりの中津川の山を2コースに分かれて登ります。一つは、ウエストンが登頂した恵那山を神坂峠から目指すコースです。長丁場のルートですが、眺望に恵まれ、自然を存分に楽しめます。もう一つは、富士見台高原へ登るコースです。緩やかな笹原が広がる高原で、山頂からの眺望は抜群。どなたでも参加しやすい山です。登山後は萬岳荘に宿泊し、夕食の懇親会で交流を深めます。
翌朝はウエストン公園へ移動し、ココアを味わいながら講師よりウエストンに関するお話を伺います。その後、恵那神社を参拝し、解散となります。
⑦登山家「槇有恒」を偲ぶ泉ヶ岳登山 第2回
- 日本山岳会宮城支部
- ①登山家「槇有恒」を偲ぶ講演会 令和8年5月16日(土)午後3時開演
②登山家「槇有恒」を偲ぶ泉ヶ岳登山 5月17日(日)午前8時集合 - ①エルソーラ・仙台 宮城県仙台市青葉区中央1-3-1 AER 28階
②泉ヶ岳(1,172m) 集合 登山口 大駐車場 - 日本山岳会宮城支部事務局 mail:myg-info@jacmember.com Tel:090-9744-6712 Fax:022-263-8696
登山家「槇有恒」は仙台に生まれ、伊勢堂山や泉ヶ岳など仙台近郊の山々を親しい友人と歩きながら、山と自然への深い思いを育みました。その郷土での思い出は、著書『私の山旅』にも綴られています。仙台を出発点として日本各地の山々を踏破し、さらにアメリカ留学を経てスイスに渡り、本格的な登山技術を修得しました。そして、1921年のアイガー東山稜初登頂、1925年のカナダ・アルバータ峰初登頂、さらに1956年には第3次マナスル登山隊隊長としてマナスル初登頂を成し遂げました。
槇有恒が日本の登山界に与えた影響は、計り知れないものがあります。私たちは、この郷土が生んだ偉大な登山家・槇有恒の自然への思いとその魂を受け継ぎ、本会の目的である「すべての人に山の楽しさを!」をスローガンに掲げ、広く市民・県民の皆さまにその足跡を伝え、未来へ語り継いでまいりたいと思います。
本年も多くの登山者とともにその偉業を称え、登山家「槇有恒」を偲ぶ講演会を開催するとともに、槇の思い出の山「泉ヶ岳」において、第2回登山家「槇有恒」を偲ぶ泉ヶ岳登山を実施いたします。
⑧泰澄祭 第38回
- 日本山岳会福井支部主催
- 令和8年5月31日、午前7時30分;集合・受付、午前8時;泰澄ウォーク出発
- ①集合: 福井県越前町小川 「奥糸生多目的集会施設」前
②泰澄祭: 越知山室堂(神事・支部長挨拶・ロスアミーゴス演奏会) - 日本山岳会福井支部 森田信人 ℡ 0776-26-7933
白山開山の祖、越の大徳と呼ばれた泰澄大師を祀ります。大師は古事記や日本書紀といった正史には記載のない謎の多い人物ですが、生誕の地とされる福井市三十八社町や遷化の地とされる越前町大谷寺、初めに修行されたという越知山周辺には多くの遺跡や伝承が残されています。
泰澄ウォークは泰澄塾の主催で行者道と呼ばれる修業の道を登ります。越知山は標高613mですが行者道はその名のごとく上り下りが多く、累積標高差は900mを超え、それなりの体力と装備が必要です。新緑の見事なブナ林の中を行く素敵な山道で、途中には廃仏毀釈の名残や独鈷水の清水があり、山頂まで福井支部のメンバーがサポートします。
室堂での泰澄祭は福井支部の主催で、越知神社の神主による神事の後で楽団「ロスアミーゴス」による演奏会でゆっくり休息します。午後1時頃出発し、別山・展望台を回った後、往路を戻り、午後3時ごろに流れ解散します。なお、林道経由で越知山室堂まで車道が通じており、体力に自信のない方はこちらからも泰澄祭に参加可能です。
⑨ウェストン祭 第80回
- 日本山岳会主催(日本山岳会信濃支部主管)
- ①徳本峠記念山行 令和8年6月6日(土)
②ウェストン祭碑前祭 〃 6月7日(日) - ①長野県松本市 島々宿→徳本峠→上高地
②上高地梓川右岸ウェストン広場 - ウェストン祭実行委員長 古幡開太郎 携帯:090-1691-0466 E-Mail:VEU00522@nifty.ne.jp
ウォルター・ウェストンは、聖アンドレ教会牧師として1891(明治24)年8月初めて来日しました。以後3度の日本滞在中に日本の山々に残した足跡と登山界に尽くした功績を称えて、日本政府は1937(昭和12)年勲四等瑞宝章を授与しました。日本山岳会もまた師の先駆的業績と77歳の喜寿を祝い、上高地にレリーフを取り付けました。しかし、直後始まった太平洋戦争により敵国人となったウェストンのレリーフは、軍や大政翼賛会の圧力を受けやむなく1942(昭和12年)12月に取り外し、東京虎ノ門の山岳会ルームに持ち還りました。1945(昭和20)年5月の東京空襲によりレリーフは一部焼損しましたが、原型は残されました。戦後受難のレリーフは彫刻家松浦藤太郎の手で修復され、1947(昭和22)年6月14日上高地に戻りました。レリーフの復旧式には松方三郎、槇有恒はじめ東京と地元松本地区から70余名が集まりました。これがウェストン祭の起こりとなり、その二日後6月16日松本市内で「ウェストン記念講演会」が開かれ、同時に日本山岳会信濃支部発足の記念行事が行われました。
以後欠かすことなく碑前祭と記念講演は行われ、今年ウェストン祭は80回、信濃支部は発足80年を迎えます。今年は、台風や大雨で崩れていた島々宿から徳本峠の登山道が環境省・長野県・松本市により修復され、久方ぶりに徳本峠記念山行が行われる予定です。翌日の上高地ウェストン広場における碑前祭(記念講演:北村節子氏『ピッケルと口紅』著者)と併せ、多くの登山者のご来訪をお待ちしています。
⑩播隆祭 第41回
- 日本山岳会富山支部
- 令和8年6月7日(日)
- 富山市河内 播隆上人顕頌碑前広場
- 鍛治哲郎 tym@jac.or.jp
1983(昭和58年)年5月8日、富山支部が創立35周年を記念して建立した播隆上人顕頌碑の除幕式として開催したのが始まりで、第一回には本部から佐々会長など数名参加。平成25年から6月第一日曜日が恒例となり、本年は41回目に当たる。式典は廃村となった富山市河内地内にある播隆上人の生家中村家跡地の顕頌碑前で行われ、播隆上人にまつわる資料展示や元住民の方から講話をいただいている。
富山支部では播隆祭に合わせて、高頭山登山道の整備と式典後に高頭山記念登山を実施しているが、会員の高齢化で年々参加者が減っており、今まで通りの登山道整備を続けるのは困難な状況になりつつある。
⑪高頭祭 第69回
- 日本山岳会越後支部主催
- 令和8年7月25日(土) 午後2時30分より
- 新潟県弥彦山大平園地
- 日本山岳会越後支部事務局 玉木大二朗 090-8723-4480
高頭翁が13歳で初登山し感銘を受けた山の原点となる弥彦山頂に、越後支 部は1950年(昭和25年)寿像建立し高頭祭を開催しました。その後現在地の大平園地に移設され1973年(昭和48年)から7月25日弥彦神社灯篭祭りの弥彦山たいまつ登山祭と同時開催、今は全国山の日事前行事として実施しています。
越後の山並みと日本海や佐渡島を望む大平園地寿像碑前で、多くの岳人が遺徳を偲び献花・献酒のセレモニーを行います。その後たいまつ登山祭は、夕闇迫る頃に山頂からたいまつを灯し弥彦神社にご神火奉納し、花火打上と神輿で賑わう市街を行進しています。
⑫藤木祭 第34回
- 日本山岳会関西支部と大阪府山岳連盟と兵庫県山岳連盟の共催、芦屋市と近畿地区山岳連盟の後援
- 令和8年9月27日(日)午後1時より
- 兵庫県芦屋市高座ノ滝前
- 日本山岳会関西支部 kansai.jac@canvas.ocn.ne.jp
藤木九三は岩・雪・氷に対する技術を実践により多くの社会人・学生・女 性登山家を育て、技術書だけでなく山岳詩人として詩・随想を著し、海外 の登山に関する名文や伝説を翻訳紹介しています。
1963年(昭和38年)には、ロッククライミングクラブにより関西における近代登山発祥の地を記念し、高座ノ滝に九三のレリーフが設置され、九三夫妻や岳人が集い除幕式が行われました。レリーフは、ウェストンや木暮のレリーフと同じ佐藤久一郎氏によって制作されました。また、滝谷にも近代登山の発展を願い1965年(昭和40年)に設置されました。
藤木祭は山仲間が集まり旧交を温め、岳友を偲び登山の発展と安全を祈る場として開催されています。
⑬木暮祭 第67回
- 木暮碑委員会主催(日本山岳会山梨支部は運営事務局)
- 令和8年10月25日(日) 午後2時より
- 山梨県北杜市 増冨ラジウム峡金山平
- 日本山岳会山梨支部 古屋寿隆 090-4539-3059
奥秩父の山を登山の対象として世に広めた木暮理太郎の遺徳を顕彰するため毎年10月第4日曜日に増富ラジウム峡の奥、金山平で開催しています。氏没後、山梨支部や霧の旅会、地元観光協会などがレリーフを造り金峰山を見渡せる岩に埋め込み、有志が参拝していました。1959年(昭和34年)台風でレリーフが崩壊し、復興のため木暮碑委員会(日本山岳会、同山梨支部など6者で構成)を立ち上げ、現木暮碑を再建しています。この再建記念式典が第1回木暮祭(1960年10月)です。現在木暮碑委員会は増富ラジウム峡観光協会、山梨県山岳連盟、山梨支部で構成、山梨支部が事務局となっています。
⑭槙有恒碑前祭 第10回
- 日本山岳会北九州支部主催
- 令和8年10月25日(日) 午前10時より
- 福岡県北九州市門司区 風頭(362m)
- 日本山岳会北九州支部 清家幸三 090-8664-4411
8000m級の未踏峰であったマナスル(8125m)に挑んだ日本隊は、槙有恒を隊長として1956年(昭和31年)5月に登頂に成功した。その後、槙有恒は各地で登頂の報告会を行なった。福岡を訪れた際に、地元の山岳関係者の案内で風師山に登られた。その時の感慨を綴った槙有恒の詩文が、石碑に刻まれて風頭に設置された。これを記念して、地元の山岳関係者が碑前祭を行っていたが、平成29年から日本山岳会北九州支部が主催することになり、毎年10月の第4日曜日に風頭において槙有恒碑前祭として挙行している。
⑮宮崎ウェストン祭 第39回
- 高千穂町と日本山岳会宮崎支部の共催
- 令和8年11月3日(文化の日)午後4時予定
- 宮崎県高千穂町五ヶ所高原三秀台
- 日本山岳会宮崎支部 日高研二 080-1766-1207
「日本近代登山の父」として知られるウェストン師が、日本アルプスに登る1年前の1890年(明治23年)11月6日、高千穂町の祖母山に登った記録が発端となり、1967年(昭和42年)地元の北稜山岳会が顕彰祭を始め、その後、1985年(昭和60年)宮崎支部設立に合せて、支部主催で第1回「宮崎ウェストン祭」を開催、第4回から地元高千穂町と宮崎支部の共催により開催され今日に至ります。
標高800mにある開催場所の三秀台からは祖母山が眺められ、英国ウェストン師旧邸から贈られた庭石(ヨークシャー石)を嵌めた高さ7mの顕彰碑に洋鐘がついています。
情熱を込めたイベントを衰退させることなく盛り上げるべく、地元地域や県内外の登山愛好家の方々も参加。日本山岳会九州五支部(福岡、北九州、熊本、東九州、宮崎)の交流と連携を保つ場にもなっています。
⑯木暮理太郎翁を偲ぶ会 第17回
- 木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会と日本山岳会群馬支部の共催
- 令和8年11月3日(火) 文化の日
- 群馬県太田市寺井町蛇川河畔 木暮理太郎顕彰碑前
- 木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会事務局長 浅海崇夫 (0276-32-3871)
第3代会長の木暮理太郎は1873年(明治6年)年12月、現在の太田市寺井町に生まれました。同地にある顕彰碑の「生誕之地の碑」は1978年(昭和53年)年11月3日、地元の強戸山岳会によって建てられ、建碑以来、同山岳会員が木暮理太郎翁の遺徳を偲んできました。
2010年(平成22年)、次の世代に顕彰活動を継承するため「木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会」が発足し、木暮理太郎翁を偲ぶ会を11月3日に行ってきました。
日本山岳会群馬支部も、2013年(平成25年)の支部設立直後より偲ぶ会に参加してきましたが、2024年(令和6年)から正式に共催という形で、第3代会長の顕彰事業に加わることとなり、「引き継がれる山岳祭」プロジェクトの一翼を担うこととなりました。

















