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公益社団法人日本山岳会

講演会報告 「戸隠修験道」 1988年7月

◆「戸隠修験道」
1988年(昭和63)7月1日(金) 午後6時半~9時

山岳会ルーム   

宮本袈裟雄(武蔵大教授)
参加者:22名  報告:山526-1989/4(中村純二)


報告

 〔講演要旨〕

 849年頃、飯縄山で学問行者が祈念し、独鈷を投じたところ、九頭竜が現れ、戸隠山を示した。行者は現地に出かけて龍を岩戸で封じ、熊野権現を勧請して奥院を建てた。室町時代になると宝光社や中社も建てられ、雨乞の地主神である九頭龍信仰とも相俟って、顕光寺は三千坊と称され、全国的に勢力を広めた。この頃、山伏は洞窟や回峰での修行も行った。

 しかし江戸初期になると実力的戦斗的な山伏は法度となり、儀礼化した僧侶的存在となった。天保の頃は、中央に戸隠権現、左に飯縄権現、右に白山権現の幣を供える神事も見られ、次第に修験宗化し、村の祈祷師として里修験も行なった。明治の廃仏毀釈で戸隠神社に改称、飯綱とも別れて現在に至っている。

 一般にわが国の修験道は時代とともに次の四つの型を経過して来たと考えられる。
①山篭型、那智の千日修行に見られるように、聖の居る深山や岩窟に篭り、穀断ち、水断ちなどの修行をして霊力を得る。
②科撒型(回峰型)武力集団を目指す僧兵が比叡山や天峰など回峰によって宿を渡り歩き、特殊な力を得た。山伏らしい実践宗教、以上の①と②は中世まで盛に行なわれた。
③御師型、江戸に入って山伏集団の戦斗力は解除され純粋な僧侶的存在となり、山を拠点にした御師となった。 
④里型、民間からの要望にも応える修験宗ともいえるもので、本山派・当山派などの別れ、村の呪師・占師として里修験を行った。
戸隠は③④の傾向が強く、求菩提や羽黒は①②的であるといえよう。

出席者 :平戸孝夫,杉山正洋,進藤波男,篠崎仁,鴫原一男,松本欣一、中村あや 岡沢祐吉,久保孝一郎,小松原一郎,石田要久,高橋詞,高田真哉,石井恵美子,中村純二,千葉重美,松丸秀夫,梅野淑子,井沢信久,浜口欣一,原謙一,小山内正夫

(中村純二)

山526 (1989/4月号)


探索山行報告

探索山行 「戸隠修験道探索」
1988年(昭和63年度)  7月16-17日
地域:
コース:戸隠奥宮―百門長屋―中社(大神楽)-宝光社
宿泊:戸隠・二沢旅館

講師:二沢久昭(長野高専)「九頭竜信仰の話」
参加者29名 報告:山526-1989/4(中村純二)

科学研究委員会・資料委員会報告

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