先人の精神を受け継いで、山岳伝統文化を守ろう
各地で行われています山岳祭を絶やさず将来に繋げるために「引き継がれる山岳祭」というプロジェクトを立ち上げました。
山岳祭を”継続”、”支援”、”広報”、”交流”をキーワードに、途切れることなく盛り上げ、先人の精神と登山の歴史を受け継いでいくことが目的です。
山岳祭は、山岳伝統文化を守ろうとする熱意ある会員や地元関係者により継続されており、各支部にとって重要なイベントであります。
世代を越えて響き合い、継承されてきたこれらの山岳祭を、私達はよく知り、先人を顕彰していきたいと存じます。
日本山岳会 会長 橋本しをり
プロジェクトリーダー 坂井広志
2025年の予定
※以下の写真は過去のものです。
小島烏水祭 第13回
- 日本山岳会主催(日本山岳会四国支部主管)
- 令和7年4月5日(土) 午後1時から碑前祭と講演、夕食懇親会。翌日は四国の登山を実施
- 香川県高松市 峰山公園
- 日本山岳会四国支部 田所秀紀 090-1009-2705
小島烏水祭は初代会長の烏水を思い、彼のパイオニア精神と登山の実践と普及、多彩な才能と自然と人間を包み込む世界観を広めるため、四国支部設立2012年(平成24年)と共に始めました。
烏水は横浜で活躍し、富士山や槍ヶ岳登山のイメージがあるが、生まれたのは四国の香川県高松市(2歳頃まで在住)です。
支部設立の年に偶然、紛失していたレリーフが日本山岳会上高地山岳研究所で発見され、烏水祭を開いている高松市峰山公園の記念碑の象徴になりました。
烏水祭は原則として毎年4月の第一土曜日にあり、碑前祭の式典と記念講演会、食事を伴う懇親会をプログラムとしています。
烏水の子孫も会員として毎年参加しています。
深田祭 第44回
- 韮崎市観光協会・白鳳会主催(日本山岳会山梨支部は実行委員)
- 令和7年4月20日(日) 午後1時30分より
- 山梨県韮崎市穂坂 深田記念公園
- 深田祭実行委員会 0551-22-1991
深田久弥は茅ケ岳登山中に急逝しました。
その登山口、深田公園の顕彰碑前にて氏の遺徳を偲ぶ式典です。
氏の没後10年目の1981年(昭和56年)4月に深田祭実行委員会主催で行われ、以後毎年4月第3日曜日に開催します。
この顕彰碑には「百の頂に百の喜びあり」と氏の言葉が刻まれています。
氏が倒れた際は山梨支部員が救助搬出に尽くしました。
茅ケ岳山頂直前稜線の終焉の地に「深田久弥先生終焉の地」と刻印された慰霊碑があります。
この慰霊碑は山梨支部員4名が任意に作成設置したものです。
山梨支部では碑前祭に毎年参加献花し、茅ヶ岳記念登山を実施しています。
久弥祭 第29回
- 久弥祭実行委員会主催(日本山岳会石川支部は実行委員)
- 令和7年4月27日(日) 午前8時より
- 石川県加賀市 富士写ヶ岳麓の九谷ダム広場(加賀市枯渕町)
- 久弥祭実行委員会事務局 担当 大幡 裕 090-1632-3368
久弥祭は深田久弥を愛する会(現NPO法人深田久弥と山の文化を愛する会)が主宰し主に深田久弥山の文化館での行事として行っていました。
2016年(平成28年)の国民の祝日「山の日」施行を契機に、石川県内の主要山岳関係団体が結集し、富士写ヶ岳山頂に深田久弥のレリーフを刻んだ方位盤を新調しました。
その結集した力で久弥祭を盛り上げ、久弥ファンのみならず、誰でも気軽に参加できる山岳祭としたいと考えています。
式典会場である九谷ダム広場の眼前にある富士写ヶ岳は、深田久弥が生まれて初めて登った山です。
式典後は富士写ヶ岳の登山を行います。
田部祭 第8回
- 山梨市観光協会三富支部主催(日本山岳会山梨支部は後援)
- 令和7年4月29日(火) 昭和の日 時刻未定(2024年は午前8時30分より)
- 山梨県山梨市 西沢渓谷入り口バス停先広場及び西沢渓谷田部重治文学碑前
- 山梨市観光協会 0553-22-1111
西沢渓谷を含む笛吹川源流域を世に広めた登山家、英文学者田部重治の功績を偲ぶ碑前祭(山梨市三富支部主催、後援山梨支部ほか)です。
田部重治の著書『日本アルプスと秩父巡礼』が登山大衆化を促したと言われていることから、山梨支部は碑前祭開催を地元行政に働きかけてきました。
第1回田部祭は2018年(平成30年)に田部重治文学碑前で開催。
翌年田部重治のレリーフを文学碑に埋め込む除幕式に氏の玄孫が参加しました。
2023年(令和5年)からは西沢渓谷山開きに併せて開催しています。
岡野金次郎碑前祭 第2回
- 日本山岳会神奈川支部ほか
- 令和7年5月10日(土) 午後2時30分から
- 神奈川県平塚市湘南平 岡野金次郎顕彰碑前
- 日本山岳会神奈川支部 中島良行 090-7739-5634
岡野金次郎は、盟友小島烏水と二人で1902年(明治35年)に槍ヶ岳の登頂に成功し、それは日本人による近代登山の幕開けとなりました。
岡野はその後横浜に住むイギリス人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンと出会い、小島との再訪問・交流などを通じて、日本山岳会の設立に際しての影の恩人となりました。
晩年を平塚市で過ごし、歿後の1961年に湘南平に平塚市と市民の協力で顕彰碑が建てられました。
昨年は岡野金次郎生誕150周年にあたり、第一回の岡野金次郎碑前祭を全国支部懇談会に併せ開催しました。
また、昨秋には岡野金次郎の本格的な評伝『孤高に生きた登山家』が出版され、ようやく彼の功績にふさわしい光が当たり始めたところです。
泰澄祭 第37回
- 日本山岳会福井支部主催
- 令和7年5月25日(日) 午前8時集合(福井県越前町小川 奥糸生多目的集会施設前)
- 福井県越前町 越知山 室堂
- 日本山岳会福井支部 森田信人 0776-26-7933
白山開山の祖、越の大徳と呼ばれた泰澄大師を祭っています。
1989年(平成元年)福井県越前町「越知山泰澄塾」主催の「越知山泰澄ウォーク」にサポート参加したのを皮切りに、2008年(平成20年)から日本山岳会福井支部が主催する「泰澄祭」を併催、登山と山岳祭をつなげたイベントとして毎年5月最終日曜に開催しています。毎回一般公募100名前後に支部会員10数名、泰澄塾会員数名がサポートし、行者道より越知山(標高613m)を2時間30分かけて歩き、室堂において神事・楽団演奏・泰澄汁の提供を行っています。
ウェストン祭 第79回
- 日本山岳会主催(日本山岳会信濃支部主管
- 令和7年5月31日(土)徳本峠記念山行
6月1日(日) 午前10時より 碑前祭(上高地ウェストン広場)、午餐会 - 松本市 上高地梓川右岸ウェストン広場
- 日本山岳会信濃支部ウェストン祭実行委員長 古幡開太郎 090-1691-0466
日本山岳会で最も歴史ある山岳祭です。
1937年(昭和12年)、ウェストンが日本政府から勲四等瑞宝章の受章を記念し日本山岳会がレリーフ(佐藤久一朗作)を上高地に設置しました。
戦時中このレリーフは会員により秘密裏に撤去保管され、戦後の1947年(昭和22年)に槙有恒、松方三郎らが元の地に戻した復旧式が第一回のウェストン祭となりました。
イベントは松本市、交通会社、山小屋、旅館組合などからの協賛を受け継続されています。
ウェストン祭前日は記念山行(徳本峠越え)、碑前祭当日は関係者のご挨拶、コーラスと記念講演の後午餐会と一連の行事が行われます。
播隆祭 第40回
- 日本山岳会富山支部主催
- 令和7年6月1日(日) 午前9時開始
- 富山市 河内地内の播隆上人の生家跡
- 日本山岳会富山支部 金尾誠一 090-2036-5853
1983年(昭和58年)富山支部は創立35周年記念事業として、河内地内にある播隆上人の生家跡地に「播隆上人顕頌碑」を建立しました。
以後毎年、顕頌碑前で「播隆祭」を開催しています。
この地は富山市中心部から約25km、標高約400m山間奥地にあります。
「顕頌之記」には上人の生涯とその業績を記載しています。
末尾に「世の人も恐れ憚る槍の穂もやがて登らん我にはじめて」の上人の和歌があります。
播隆祭は山岳会およびおよび上人の末裔でつくる「播隆上人生家の会」が中心となって開催しており、上人の研究組織「ネットワーク播隆」とも連携しています。
富山支部は式典後に高頭山記念登山を実施しています。
播隆上人の遺品の多くは、富山市大山歴史民俗資料館に保管・展示されています。
高頭祭 第68回
- 日本山岳会越後支部主催
- 令和7年7月25日(金) 午後2時30分より
- 新潟県弥彦山大平園地
- 日本山岳会越後支部事務局 玉木大二朗 090-8723-4480
高頭翁が13歳で初登山し感銘を受けた山の原点となる弥彦山頂に、越後支 部は1950年(昭和25年)寿像建立し高頭祭を開催しました。
その後現在地の大平園地に移設され1973年(昭和48年)から7月25日弥彦神社灯篭祭りの弥彦山たいまつ登山祭と同時開催、今は全国山の日事前行事として実施しています。
越後の山並みと日本海や佐渡島を望む大平園地寿像碑前で、多くの岳人が遺徳を偲び献花・献酒のセレモニーを行います。
その後たいまつ登山祭は、夕闇迫る頃に山頂からたいまつを灯し弥彦神社にご神火奉納し、花火打上と神輿で賑わう市街を行進しています。
藤木祭 第33回
- 日本山岳会関西支部と大阪府山岳連盟と兵庫県山岳連盟の共催、芦屋市と近畿地区山岳連盟の後援
- 令和7年9月30日前後の日曜日を予定
- 兵庫県芦屋市高座ノ滝前
- 日本山岳会関西支部 kansai.jac@canvas.ocn.ne.jp
藤木九三は岩・雪・氷に対する技術を実践により多くの社会人・学生・女 性登山家を育て、技術書だけでなく山岳詩人として詩・随想を著し、海外 の登山に関する名文や伝説を翻訳紹介しています。
1963年(昭和38年)には、ロッククライミングクラブにより関西における近代登山発祥の地を記念し、高座ノ滝に九三のレリーフが設置され、九三夫妻や岳人が集い除幕式が行われました。
レリーフは、ウェストンや木暮のレリーフと同じ佐藤久一郎氏によって制作されました。
また、滝谷にも近代登山の発展を願い1965年(昭和40年)に設置されました。
藤木祭は山仲間が集まり旧交を温め、岳友を偲び登山の発展と安全を祈る場として開催されています。
槙有恒碑前祭 第9回
- 日本山岳会北九州支部主催
- 令和7年10月19日(日) 午前10時より
- 北九州市門司区風師山風頭
- 日本山岳会北九州支部 清家幸三 090-8664-4411
1956年(昭和31年)に日本山岳会がマナスルに初登頂後、槙有恒隊長は登山の支援を頂いた毎日新聞西部本社(当時旧門司市)を表敬訪問し、風師山にも立ち寄られました。
その折の感慨を述べた一文『この頂に立つ 幸福の輝きは これをとらふる 術を知りし山人たちの 力によるものなり』が山頂の記念碑として残されました。
その後、槙さんの業績を知る者が少なくなり森元会長の助言を受け2016年(平成28年)に略歴碑を設置しています。
地元山岳会が槙有恒碑前祭として行ってきた山岳祭は2017年(平成29年)に日本山岳会北九州支部に引継ぎ要請があり継続しています。
木暮祭 第66回
- 木暮碑委員会主催(日本山岳会山梨支部は運営事務局)
- 令和7年10月26日(日) 午後2時より
- 北杜市 増冨ラジウム峡金山平
- 日本山岳会山梨支部 古屋寿隆 090-4539-3059
奥秩父の山を登山の対象として世に広めた木暮理太郎の遺徳を顕彰するた め毎年10月第3日曜日に増富ラジウム峡の奥、金山で開催しています。
氏没後、山梨支部や霧の旅会、地元観光協会などがレリーフを造り金峰山を見渡せる岩に埋め込み、有志が参拝していました。
1959年(昭和34年)台風でレリーフが崩壊し、復興のため木暮碑委員会(日本山岳会、同山梨支部など6者で構成)を立ち上げ、現木暮碑を再建しています。
この再建記念式典が第1回木暮祭(1960年10月)です。
現在木暮碑委員会は増富ラジウム峡観光協会、山梨県山岳連盟、山梨支部で構成、山梨支部が事務局となっています。
宮崎ウェストン祭 第38回
- 高千穂町と日本山岳会宮崎支部の共催
- 令和7年11月3日 文化の日(午後4時予定)
- 宮崎県高千穂町五ヶ所高原三秀台
- 日本山岳会宮崎支部 日高研二 080-1766-1207
「日本近代登山の父」として知られるウェストンが、日本アルプスに登る1年前の1890年(明治23年)11月6日、祖母山に登った記録が発端で、1967年(昭和42年)地元の北稜山岳会が山岳祭を始め、その後、1985年(昭和60年)宮崎支部設立に合せて、高千穂町と宮崎支部の共催により第1回「宮崎ウェストン祭」が開催され引き継がれて今日に至ります。
開催場所の三秀台からは祖母山が眺められ、ウェストン生家から贈られた石(ヨークシャー石)を嵌めた高さ7mの碑に鐘がついています。
情熱を込めたイベントを衰退させることなく盛り上げるべく、地元地域や県内外の登山愛好家の方々も参加、日本山岳会の九州五支部(福岡、北九州、熊本、東九州、宮崎)の交流と連携を保つ場になっています。
木暮理太郎翁を偲ぶ会 第16回
- 木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会と日本山岳会群馬支部の共催
- 令和7年11月3日(月) 文化の日 午前11時より
- 群馬県太田市寺井町蛇川河畔 木暮理太郎顕彰碑前
- 木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会事務局長 浅海崇夫 0276-32-3871
第3代会長の木暮理太郎は1873年(明治6年)年12月、現在の太田市寺井町に生まれました。
同地にある「生誕之地の碑」は1978年(昭和53年)年11月3日、地元の強戸山岳会によって建てられ、建碑以来、同山岳会員が木暮理太郎翁の遺徳を偲んできました。
2010年(平成22年)、次の世代に顕彰活動を継承するため「木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会」が発足し、木暮理太郎翁を偲ぶ会を11月3日に行ってきました。
群馬支部も、2013年(平成25年)の支部設立直後より偲ぶ会に参加してきましたが、2024年(令和6年)から正式に共催という形で、第3代会長の顕彰事業に加わることとなりました。